長野県出身。日本大学芸術学部を卒業後、脚本家を目指して1967年に円谷プロダクション(以下、円谷プロ)へ入社.。しかし、円谷プロの意向によって『ウルトラセブン』などの特撮班助監督を経験することになり、同社の作品数が激減した1960年代末にようやく企画室の勤務へと辿り着く。1971年の『帰ってきたウルトラマン』にてTBS側の担当プロデューサーを務めていた橋本洋二から、深夜にも及ぶ書き直し要求を経て第8話「怪獣時限爆弾」が採用されたことで、念願の脚本家デビューを果たすことになった。以降は円谷プロの企画室長という立場からも、1970年代の「第2期ウルトラシリーズ」、さらには『ミラーマン』などの企画や脚本執筆にも尽力した。第1期、第2期ウルトラシリーズを通じてメインライターを2作品続けたのは金城哲夫と田口のみである。