1975年(昭和50年)生まれ。東京都出身。藤村女子中学・高等学校中退。バーニングプロダクション所属。女優などとして活動した後、結婚に伴い2002年(平成14年)に一度引退したが、離婚翌年の2006年(平成18年)より芸能活動を再開している。「有紀」という名前は、「世紀を越えても有名な子になるように」との意で祖母が命名したものである[要出典]。出身は、東京・日本橋で、中学校在学時からモデルとして芸能活動を開始した。1992年(平成4年)のテレビドラマ、『その時、ハートは盗まれた』(フジテレビ)への出演で女優デビューし、同年冬には、ユニチカの1993年 水着キャンペーンモデルに選出された。この頃、芸能活動に専念するために高校は退学した。翌年には、『フジテレビビジュアルクイーン』に選出された。1994年(平成6年)には、『時をかける少女』でドラマ初主演。同年には、主演ドラマ「半熟卵」の主題歌として、『TENCAを取ろう! -内田の野望- 』を歌って歌手デビュー、同曲は、オリコン初登場1位で獲得した。翌年には映画にも出演し、以降、歌と女優業を軸に活動した。2000年(平成12年)1月、演技の勉強を基礎からやり直すとして、『北区つかこうへい劇団』に入団。それに伴って約3年間の予定で歌手業を休業、活動の場をテレビから舞台へと移した。実際には、2002年(平成14年)に結婚、同年11月28日を以って芸能界引退することを示し、同年9月に放送されたテレビドラマ、『北の国から 2002 遺言』(フジテレビ)が、内田最後の出演作になったものと思われた。しかしながら内田は2005年(平成17年)末に離婚、翌年夏に放送されたテレビドラマ、『誰よりもママを愛す』(TBS) に、主演の田村正和演じる、主役の専業主夫の長女役で出演し、女優としての活動を再開した。芸能事務所も引退前のバーニングプロダクションに復帰、停止していた公式ウェブサイトも再開された。現在、内田のマネジメントは、かつての内田担当マネージャーが代表を務める、バーニンググループのプロダクション、株式会社エヴァーグリーン・エンタテイメントによって行われている。